日本の経済歴史で重要なニクソン・ショックとプラザ合意

「ニクソン・ショック」や「プラザ合意」については、当時の直接的な状況はわからなくても、言葉だけでも聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。いずれも、経済の歴史においては重要な出来事とされているニクソン・ショックとプラザ合意についてまとめました。

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ニクソンショックに関するまとめ

ニクソン・ショックとは

ニクソン大統領が1971年8月15日に、テレビとラジオで全米に向けて、新経済政策(減税と歳出削減、雇用促進策、価格政策の発動、金ドル交換停止、10%の輸入課徴金の導入)を電撃的に発表し、その中の「金ドル交換停止(金とドルとの固定比率での交換停止)」のことを主に指します。

突然の経済発表でしたが、中でも特にショックだった内容は、「金ドル交換停止」で世界経済に大きな影響を与えました。

ニクソン・ショックの要因について

米国は、1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、大幅な財政赤字を抱えることとなり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。米国は、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなりました。

ニクソン・ショックが発生する前は、金とドルのレートは一定でしたが、ドルの価値が低下し、金との交換が保証できなくなったために、ニクソン・ショックが発生します。

円切り上げへ

円のレート改定会議は最後に行われ、あまり時間も用意されていなかったようです。360円から308円へ切り上げることが提案され、あまりに大きな引き上げ率だったため、水田三喜男大蔵大臣を中心とした日本使節団が思案している間に提案は決済されてしまいました。

ニクソン・ショックによって、円の切り上げが決定され、1ドル=360円から、1ドル=308円となりました。大幅な切り上げです。

スミソニアン合意

主な内容は、「ドルの切下げ(金価格の引上げ)」と「各国通貨の調整(ドルに対する切上げ)」「為替変動幅を従来の平価の上下1%から暫定的に2.25%に拡大する」などで、円の16.88%の切上げもこの中で決まりました。

スミソニアン合意が結ばれたのは、1971年8月に米国のニクソン大統領が米ドルと金との交換停止を発表し、戦後のブレトン・ウッズ体制が崩壊したことに伴うものです。しかし、米国の貿易赤字が改善する目途が立たず、金ドル交換が再開される可能性はありませんでした。

ニクソン・ショックの発生に伴い、戦後の経済を立て直すための制度として制定されたブレトン・ウッズ体制は崩壊しましたが、それを立て直すためにスミソニアン合意が結ばれました。しかし、米国の赤字が改善しなかったために、日本や西欧諸国は変動相場制に移行し、スミソニアン合意も崩壊しました。

プラザ合意に関するまとめ

プラザ合意とは

1985年9月22日、過度なドル高の是正のために米国の呼びかけで、米国ニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催された。

プラザ合意は、ドル高が進行していたことから、それを是正するために行われた会議のことです。プラザとは、ニューヨークのプラザホテルを指します。

プラザ合意の背景について

なぜドル高の是正が行われたのでしょうか。当時、日本の経済がどんどん発展し、アメリカへ日本製品が大量に輸出されていました。日本から安くて品質の良い商品がたくさん入ってくるので、アメリカの企業は太刀打ちできなくなっていきます。そのうち、アメリカ議会が「何とかしろ」と怒り出しました。

当時は、円安ドル高であったことから、日本の安い工業製品がどんどんとアメリカへ輸出されていきました。それにより、アメリカ経済は大きな打撃を受けます。その対策として、アメリカは自国の産業を守るためにドル安へと誘導しました。

プラザ合意以降

プラザ合意以降、日本では急激な円高が進み、日本経済は不況に陥りました。この不況を脱するために、日本の輸出企業は、売上を国内に移したり、国内生産を海外での現地生産に切り替えたり、部品調達を海外から行うといった対策をとりました。

出典:http://www.findai.com/yogo/0118.htm

プラザ合意以降、日本は円高不況に陥ったものの、生産拠点を海外に移すなどして対処しました。また、円高であったためにドルが安くなったことから、米国資産の買いあさり現象や海外旅行ブームがおきました。

ニクソン・ショック、プラザ合意で日本は円高に

ニクソン・ショックは、アメリカの財政赤字が拡大したことによって、それまで実施されていた「金ドル交換」に終止符を打ちました。また、プラザ合意は、アメリカが自国の産業を守るため、ドル安に誘導するために行われた会議です。そのため、日本は円高となり不況に見舞われましたが、円高を契機に海外資産の購入が見られました。

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